食事の大切な役割は、時間の区切りである。入院して初めてそれを知った。
夜中に腸閉塞を起こして緊急入院して以来、丸3週間点滴だけで暮らした。最初のうちはおなかにたまった悪いものを出すのが精いっぱいで、食事もへったくれもなかった。 イレウス管という素晴らしく効果的かつ非人道的な発明物のおかげで徐々にお腹が普通になってきても、必要な栄養分は点滴で24時間連続して血液に直接流し込まれているから、空腹は感じなかった。昼時にやってきた母が私の目の前でサンドイッチを食べたと言って、兄夫婦がなんと無慈悲な…と呆れたが、当の本人はさほど羨ましいと思わない。 友達が持ってきてくれた「食」特集の雑誌は、次から次へと美味しそうなレシピが並び、「おやつ食べ歩きBOOK」という別冊おまけまでついていた。ヒマにモノを言わせて、1頁1頁隅から隅まで読んで、気に入ったレシピなど3回くらい繰り返し読んでしまったが、それでも「食べたい~」という飢餓感はない。 とはいえ、だんだん手持ち無沙汰にはなってくる。睡眠は十分過ぎるほど撮っているから、朝5時くらいには目が覚めてしまう。ベッドの中でのびを繰り返しながら、看護師(最近は看護婦、とは呼ばないらしい)さんの朝の検診を待つ。6時にやってくると、ほっとするのも束の間、検温と血圧と2日に一度の採血はあっという間に済んでしまう。そのあと、しばらくぐずぐずとして、起き出して歯を磨いて(モノを食べていないのだからきれいなものである)顔を洗って7時過ぎ。 あとは昼までやることがないのである。というか、昼=昼ご飯もないから、1日のあとの時間、何もすることがない。レントゲン検査が入っていれば9時過ぎにいそいそと出かけるが、入院患者優先なのかいつ行ってもほとんど待たされない。あとやるべきことと言えば、洗髪と洗濯くらい。できるだけ動けと言われ、5階から10階までの病室各フロアの自動販売機に何が入っているか(各階みごとにちがう)視察したり、10階の特別室フロアのデイルームで日経新聞を広げたり。 時折点滴の交換、痛くなると痛み止めの点滴のリクエスト、そんなことだけで1日が過ぎて行く。 今日、ようやく流動食が始まった。朝6時に看護師さんが来た後、いつもより長い時間ベッドの中でぐずぐずする。歯を磨くのは食事のあとだから。7時45分。トントン、というノックとともに「お食事ですよ~」という声。きた。でも、最初はただの重湯だし。 10年前の入院時、手術後の最初の重湯があまりにまずくて2回目は「まずいっ」と声に出して匙を投げた記憶のある私は、なるたけ期待しないよう自制する。 トレイの上を見ると、予想に反して4つも器が並んでいる。重湯だけではない! お味噌汁とカルピスみたいな飲み物とヨーグルト。感動。 食後、身支度を整えて髪を洗って洗濯物をランドリーにセットして、当該フロアの入院患者数をチェック(大部屋・個室あわせて26室で37人だった)をする。術後は特によく歩いて癒着を防がないと、また腸閉塞になりかねないのだ。チェックが終わると(何のためにチェックしているのかは問わないでほしい)、またぞろ各階自販機視察に出掛ける。自分より1フロア上の階のデイルームでちょっと一息ついていたら、廊下をがらがらと給食ワゴンがやってきた。 なんと、もう昼食の時間なのだ。あたふたと自分のフロアに戻る。幸いまだ配膳はされていなかった。それにしても、午前の時間のなんと短かったことか。というより、これまでしばらく「午前」という観念さえ頭から抜けていたことに気づく。 午餐。一日の真ん中。一区切り。 午後は、痛み止め(今日から点滴ではなく錠剤だ)のせいで束の間まどろんだりしていたが、夕方から相次いで2人、友達がお見舞いに来てくれた。二人目とおしゃべりの花を咲かせていると、ノックの音と共に本日3回目の「お食事ですよ~」。 「あ、もうそんな時間」あたふたと帰り支度をする友達をエレベーターホールまで見送って戻ってきて、夕食の膳につく。三分粥、ささみひき肉のトマトソース煮、キャベツのコンソメ煮、ポタージュ。そしてリンゴゼリー。美味しい。 夕飯が終わると、自然と歯を磨いて顔を洗って…という寝支度モードに入る。友達が差し入れてくれた美肌パック(どうせずっとすっぴんだしヒマなんだから、この際キレイになってね、という気の利いた計らいである)を顔にぺたぺた貼る。検温にきた看護師さんにぎょっとされ「あ、パックしてます」というと、「す、すみません、出直します」 ショックが大きかったのか、なかなか看護師さんは出直してこない。仕方ないので寝る前にもう一回り、フロア内散策をする。部屋に戻ってしばらく雑誌を読んでいたら、ようやく戻ってきた。友だちが…と言い訳をすると、「いいお友達ですね」と寛容な態度を示してくれた。 まだ眠くないけどなあ、と思いながらベッドに入り、このブログを書き始めて、今、気づくと10時である。こんな時間まで天井照明をつけて起きていたのは初めてである。 1日が短かったのは、食事という新しいステップに入ったこともあるが、「食事」そのものによってのんべんだらり、のっぺりとした時間が明確に区切られたから。 規則正しい時間に食事をしましょう、という小学校以来の教訓の威力を、改めて感じる。
by miltlumi
| 2014-04-30 22:11
| イレウス奮闘記
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