謹んで新春のお慶びを申し上げます よりも
謹んで初春のお慶びを申し上げます のほうがいいなあ。 お年玉つき年賀はがきの当選番号をチェックしながら、不意に思った。 「新春」と「初春」という、突き詰めれば「新」か「初」か1文字だけのちがいだけれど、「しんしゅん」、「はつはる」と、声に出して言ってみると、そのちがいは明らかだ。 断然「はつはる」のほうがいい。訓読みのほうが、ずっと優しいし、易しい。お正月休みでシャッターを下ろしている飲食店の軒先に、よく「賀正」とか「迎春」とか書かれた大きな短冊様の紙が貼ってあるが、何となく形式ばっていてあまり好ましく思えない。ひらがなが入らない漢字だけ、たった2文字。しかもそれが「がしょう」「げいしゅん」というごつごつした音色だから、なおさらなのだ。 つまるところ、平安時代から綿々と続く日本語の音(おん)の問題だ。初春は訓・訓、新春は音・音。訓読みのやまとことばのほうが、やっぱり日本人の心情にしっくりくる。そういえば、重箱読みという言葉があったっけ。その反対はなんだろう。調べてみたら、「湯桶(ゆとう)読み」というのだった。初めて聞いた気がする。 「初春と新春、どっちが好き?」 ある人に尋ねたら、間髪を入れず「はつはる」という答えが返ってきた。だよね、と答えただけで満足して黙っていたら、しばらくして相手がこそりつぶやいた。 「重箱読みの反対って、なんだっけ」 笑ってしまった。言葉に出さなくても、同じ思考回路を巡らしている。 音(おん)だけでなく、「新」と「初」の意味も影響を及ぼしていると思う。どちらも似た意味合いのようでいて、実はちがう。「新しい出会い」は、一生のうち何度も色々な人と経験できる。けれど、「初めての出会い」というのは、「あの人との」という枕詞を暗示している。あの人と私の「初めて」の出会いは、一生に一度しかない。だから、「初めて」のほうがレアなのだ。新春は毎年めぐってくるけれど、初春は、今年、2014年の春だけなのだ。 もう何十年も年賀状をやりとりしている中学時代の先生がいる。数年前に寝たきりになって以来、「子供一同」からの代筆で届くようになった。今年の年賀状は、先生が卒寿を迎えるのを機に、「新年の挨拶をお届けすることに区切りをつけさせていただきます」と括られていた。 来年はもう、先生からの年賀状は届かないのか。今年が、最後の初春か。「重箱読み」の人にこの話もしたら、今度は私が思いもかけなかった返事が返ってきた。 「こちらが出し続けてもいいけど、もう返事はしませんよ、ということだね」 そうか。たとえ先生から返事はなくても、私から出すのを止める必要はないんだ。 新しい年は、また来年も確実にめぐってくる。
by miltlumi
| 2014-01-23 20:50
| 私は私・徒然なるまま
|
Comments(0)
|
カテゴリ
マンモスの干し肉 マンモス系の生態 私は私・徒然なるまま 機嫌よく一人暮らし アインシュタインの言葉 忘れられない言葉 サラリーマンの生活 慣れてない男たち フォトアルバム 父の記憶 Vacation in Hawaii ! Vacation in Bali 初秋のヨーロッパ Vacation in Hanoi Seoul Trip Ubud in 2013 Ubud in 2014 イレウス奮闘記 NY after 8 years リーダーシップ論 みるとるみ版・映画評 セドナの奇跡 スリランカ♡アーユルヴェーダ三昧2018 バルセロナの1月 メキシコ・女一人旅! 以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 01月 more... メモ帳
最新のトラックバック
検索
タグ
男と女
思い出
言葉
しあわせ
干し肉
ウブド
モチベーション
一人暮らし
バリ
マンモス
腸閉塞
イレウス管
体験記
コロナ陽性
アーユルヴェーダ
村上春樹
断捨離
アインシュタイン
うちさぽ東京
エネルギーレベル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||