優しいレモンクリーム色の生パインジュース。そつなくお冷を注いで回っている、白黒ギンガムチェックのシャツに蝶ネクタイをした男性店員に中身を尋ねると、「水と氷とシロップだけです。いちごとバナナは牛乳も入れますが」と、少しはにかんだように答える。「ふうん。すごく美味しいですね」というと、表情を余計にはにかませた。
レジにいる男性も、斜め下のカウンターの奥の調理担当も、男性はみな蝶ネクタイのユニホームだ。一方女性店員はあと一人、グレイ地にアーガイル模様の野暮ったいカーディガンに茶色のコーデュロイパンツと、これまた昭和を纏っている。女性だけ服装自由というのは、フェミニズムの現れか。それとも、レジの脇の(私と一緒に外から入ってきて以来、ずっとドアの内側にいて、客が入ってくるたびに「地下のあちらのテーブルにご案内して」と仕切っている)あの老オーナーが、女性のユニホームをデザインするのを潔しとしなかったためだろうか。 分厚く切ったふわふわの食パンでできたピザトーストが運ばれてくる。柴田翔女が説明してくれていた通り、4切れだけでも結構なボリュームである。 斜め前に座ったスーツ姿の客に、アーガイルが低い声で「メニューご覧になりますか」と尋ねている。最近の若者のように語尾を不必要に上げたり伸ばしたりすることがない。 なんというか、暗い店内を静かに歩いて無駄なく客をサーブする店員たちが、寛いだ雰囲気を醸し出している。これはやはり主人の教育の賜物にちがいない。 そうした店内の雰囲気に敬意を表しているのか、煙草のけむりに燻されて飴色になった木の天井や柱が人の声を吸い取って、柔らかなさんざめきに変えているだけなのか、そこここのテーブルで会話が繰り広げられているわりには、気が散るような騒がしさがない。 もとより傍若無人に甲高い声でしゃべり散らす女性は、近頃もっぱら隣駅で降りてレンガ駅舎と丸ビルあたりに出没している。こんな佇まいの店にまで出張ってくることはないのだろう。人生を謳歌している団塊世代でわざわざ神保町に立ち寄るのは、岩波ホールの映画がお目当てな人達くらいなものだ。あの手の映画を好む人々は、おそらく相対的に分別のある静かなタイプだろうから、店に入ってきたとしても、このしじまを壊すような暴挙はするまい。いずれにしろ、荒々しい行為は、40年前にやり尽くした。 パインジュースとともにテーブルに置かれたピーナツの小皿。空腹を珈琲1杯で満たそうとするあの頃の若者のために、まだ髪が黒かったあのオーナーが編み出したサービスか。たった10粒で、彼等は何を何時間語り合っていたのだろう。 「ピザトーストの方にサービスです」と、礼儀正しいギンガムチェックの若者が、私の目の前にレモンシャーベットを置いた。こちらはきっと、議論が沸騰して熱くなった頭と舌を冷ますために、店長がタイミングを皆からってそうっと差し出した、その名残りかもしれない。 探せばきっとその頃の書き込みがあるにちがいない焦げ茶色の空間の中で、私は過去と現在を行ったり来たりしている。さっき入れ替わって入ってきた隣の学生は、時間がたつのも忘れて熱く語り合うということもなく、文庫本ほどの小さな画面にかじりついている。
by miltlumi
| 2013-01-17 07:34
| 機嫌よく一人暮らし
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