男がいた。…とくれば当然、女も、いた。女は、元々は男の恋人の友人だった。女が友人の彼氏を好きになったのか、男が彼女の友達を好きになったのか、おそらくその両方だろうが、二人は結婚した。
時は流れ、専業主婦を通した妻の内助の功もあって、男性はしかるべき社会的地位を得た。生まれた子供が親元を離れ、「お互い、まあ色々あったけど」と微笑み合えるような年代になった。 そんなある日、彼のもとに、妻の昔の友人、もしくは自分の昔の恋人が訪ねてきた。金を貸してほしい、という。その場で財布からほいと渡せるような金額ではなかった。自分が自由に使える口座から出せない金額ではなかったものの、一抹の迷いも手伝って、彼は妻に共通の知人の来訪の一部始終を伝えた。 二人の間に、久しぶりに目に見えない緊張が走ったが、次の瞬間、静かな声で妻が告げた。 「そのお金、戻ってくると思ってはだめよ」 とある男性から聞いた実話である。聞きながら、腕に鳥肌がたつのを感じた。男らしすぎる。その奥様。 夫のささやかな浮気を見つけてはぴーひゃら騒ぎ立てる、そんじょそこらの肝っ玉の小さいオンナとは格が違う。亀の甲より年の功、かもしれないが、こんなセリフは、そうそう安直に口にできるものではない。 夫こそいないものの、私もあと何年かでそんなダンディな女性に成長できるだろうか。いっそ彼女のところに丁稚奉公にでも入ろうか。 しかし考えてみれば、もっとすごいのは、金を借りに来た女性のほうかもしれない。昔のオトコ、と言っても、もう何十年も前、おそらく数年もつきあったわけではない。日経新聞の「人事」欄に時折名前が掲載されるようになった彼を、どういう伝手をたどったのか、いきなり乗り込んで行って、借金を申し込む、その勇気というか図太さというか。 さほどまでに切羽詰まっていたのだ、と言ってしまえば、身もフタもない。目立ち始めた白髪をひっつめにして、時代遅れの着古しに身を包んだくたびれた姿では、ものがたりにはなり得ない。 何十年ぶりかで彼の前に姿を現した彼女は、流行に左右されないシックなワンピースを纏い、誠にお久しぶりです、と丁寧に頭を下げたにちがいない。大変申し上げにくいのですが、と切り出したその声には、卑下も卑屈も感じられない。それでいて手を差し伸べずにはいられない微かな哀切。謙遜な中に、断られることはないと確信している、あるいは断られても揺るぎないであろう、気位の高さ。 ハンサムだよね、ぜったい。 ここまで想像の翼を羽ばたかせて、はたと我に返る。男らしい奥様になれない私は、ましてやこんなハンサムな行動を、演技がからずにとることができるだろうか。否。やっぱりもう少し修行に時間がかかりそうだ。 そもそも、これまで別れた男の中で、うんびゃく万円をぽんと出してくれるカネ持ちはいたっけ。3人の中で一番羨むべきは、出世運にも女運にも恵まれた男性かもしれない。
by miltlumi
| 2012-08-02 12:53
| マンモス系の生態
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