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散文的な生活

 うちのマンションでは、7階の空中庭園に植えてあるハーブ類を植木屋さんが剪定し、時折供出してくれる。摘み立てのローズマリーを竹籠に盛ってしばらく部屋に放置しておくと、カラリとしたドライハーブが出来上がる。
 香りのいい葉を枝からこそげ取りながら、今年の夏休みはどうしようかなあ、と考える。8月末に仕事の関係でカンボジアに行くはずだったのがキャンセルになって、大きな旅行の計画はゼロ。先日行ってハマってしまったソウルに、もう一度行ってみようか、という話もある。

 会社勤めの頃は、毎年9月に「大きな旅行」を決行していた。それが終わると「この先、一体何を心の支えに生きて行けばいいのだろう」と大げさに世を儚んでみてから、おもむろに翌年の旅行計画を始めたものである。
 フリーになって時間が自由になると、大きな旅行を年に1度、の代わりに、小さな旅行を年に何度か、も可能になる。それどころか、「今週のイベント」と称して、雑誌に載っていた気持ちよさそうなカフェに、早起きして出掛ける計画さえ、楽しみの一つになったりする。

 人生は大河ドラマだと思っていたら、朝の連続テレビ小説以下だ、と以前書いたことがあるが、その思いは年を追うごとに強くなる。今や、時間つぶしのニュースにさえならないかもしれない。「散文的な生活」という、糸井重里の向こうを張るようなコピーが、心の中でこだまする。
 毎日同じ時間に起きて電車に乗って、毎週土曜日に家中に掃除機をかけて、1.5ヶ月に一度美容院で髪を切る、その繰り返しがなんだかばかばかしく、ものすごくつまらない人生を送っているようで、逃げ出したい気分になったこともある。
 でも、波瀾万丈の大河ドラマの主人公みたいな人だって、きっと毎日、毎週繰り返している日課はあるにちがいない。
 繰り返しと抱き合わせで、日々は脈絡のない振る舞いに満ちている。メールチェックをしている最中に、テーブルクロスの汚れが気になって突然洗濯を始めたり、仕事帰りにバーゲンを冷かした後で、なんとなく公園に足が向いてしばし読書をしてみたり。なんのストーリーもないけれど、それも、たしかに生活なのだ。散逸的ではあるけれど。
 
 大きなことをやっているから幸せ、とか、小さなことの繰り返しだからつまらない、というのではない。どんなことであれ、楽しむ気持ちがあれば楽しい。幸せだと思えれば、幸せ。あるいは、人生に幸せを求めないことさえ、ひとつの選択らしい。

 山盛りになったローズマリーは、お料理好きな友達におすそ分けしようか。
 この前のホームパーティの後に植えたアボカドの種は、いつ芽を出すだろうか。
 今日も暑くなりそうな朝陽の中で、散文的な思いがふわふわと浮いている。
by miltlumi | 2012-07-25 09:31 | 機嫌よく一人暮らし | Comments(0)
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