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「どうせ」と「せっかく」

 昔、同僚達と仕事の話をしていた時のこと。「そんなデータベース作ってどうするんですか?」と言ったら、細い目を吊り上げた年上の男性社員に「そんな、とか言うなよ!!」とどなられてしまった。
 そんな=そのような、の短縮形、くらいに軽く理解していた私は、目を丸くした。彼は、その単語を単なる代名詞的形容動詞とは思わず、「そんな程度のくだらない」みたいな軽蔑的ニュアンスに受け取ってしまったのだ。
 以来、「こんな」とか「あんな」の代わりに、「このような」とか「ああいう」を使うよう気をつけている。でも常に効率を重視する癖のある私は、文字数のより少ない「こんな」を、つい口をついてしまう。

 この相違、本当か調べてみたら、類語辞典にちゃんと説明があった。曰く、「こんな」が、対象を身近に感じている表現なのに対して、「こういう」「このよう」は、より客観的だそう。従って、「こんな人とは思わなかった」は、「人」に対する話者の感想(いい人、腹黒い人、等)を意味し、「こういう人とは思わなかった」は、「人」の状態の説明(自分に親切にしてくれた、いじわるをした、等)を意味するという。
 対象への身近さはマイナスの評価を伴いやすいので、「こんな人」といった場合、ほめる意味ではなく、けなす意味になることが多い、との説明。
 対象への身近さ=マイナス評価、という点に複雑な心境を抱いてしまうが、なんだかわかる気がする。
 
 もう1つ、何気なく使っていたが、本来の意味に含まれるポジティブでないニュアンスに気づいたものがある。どうせ、という言葉。用例は、「どうせ旅行に行くなら、2週間くらいは滞在したい」。
 「どうせ阿呆なら踊らにゃ損損」という有名なフレーズを想起させるが、これは「どうせ」の後に「同じ」が省略されており、踊るも踊らぬも「結局」あるいは「所詮」同じ阿呆なら、踊ったほうがいい、という意味。「どうせ私は阿呆です」という開き直り、なんとなく投げやりなニュアンスを漂わせている。
 先の用例は、「結局」行くわけだから、というつもりで口にしていたが、別のニュアンスが前面に出るとおかしくなる。ポジティブに(?)言うなら、「せっかく旅行に行くなら…」である。
 「せっかく」は折角。朱雲という人が、それまで誰にも言い負かされたことのない、五鹿に住む充宗を易論で言い負かし、人々が「鹿の角を折った」としゃれて評したことから、努力したり力を尽くすときの副詞として使われるようになったらしい。類義語は「わざわざ」。  
 
 書き言葉は、推敲ができるから、よい。話し言葉は口に出したら最後である。つい口をついて出た何気ない一言が、人間関係に傷をつけてしまう。あるいは自分の気持ちが間違って伝わる。
 逆にちょっとした言葉遣いで、相手をほのぼのとさせることもできる。そして何より、自分の脳みそに気持ちよさが跳ね返ってくる。
 きれいな、明るい言葉を、心掛けたい。
by miltlumi | 2012-05-11 15:59 | 私は私・徒然なるまま | Comments(0)
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