空き箱は、心の琴線に、どのように触れるか (上)

 大竹伸朗という人のエッセイを読んでいた。私はアートや音楽のことはよくわからないのであるが、この人は(有名な?)美術家であるらしい。彼の作品には、さほど心を動かされるわけではないが、エッセイのほうは、とあるページで思わず「わはは」と笑ってしまうほど、激しい共感を覚えた。
 美大の学生時代、カバン屋の棚卸という退屈なアルバイトを数か月続けたのは、いくらでも空き箱をもらえるからだった、というくだり。真新しいキャンバスとちがい、その厚紙ボックスは、色といい臭いといい、本能的に「オレはこの上に何か表現しなければいけない」といった気持ちにさせられたという。ガラクタやゴミから立体作品を創造する(とWikipediaに書いてあった)彼の原点がここにある。バイトに行くモチベーションは、お小遣い稼ぎでもカバン職人の見習いでもなく、ぜぇんぜんちがうところにある、というのがいい。
 そして、私も全く同じような経験を持つ。但し「空き箱」は、ゲイジュツのためではない。

 最近、断捨離とか整理の魔法とか言われて、巷の100均ショップには整理グッズが溢れているが、引き出し整理プロの私には、市販の品なんざあ素人のアソビである。入れる物に100%ぴったりの仕切りを実現するにはミリ単位の調整が必要で、画一的な仕切り箱では、帯に短し襷に流し状態になってしまう。
 そこで活躍するのが空き箱。一つの引き出しにいくつもの空き箱をぴったり並べるには、ジグゾーパズル能力はもとより、様々な大きさの空き箱を日頃からこまめに収集する、平素からの地道な積み重ねが肝要なのだ。微妙にちがう大きさの箱をとっかえひっかえして(例えば、名刺が入ったプラスチック箱は、本体ととフタの大きさが数㎜ちがい、どちらを使うかで微調整が可能)、ぴったりはまったときの快感といったら。

 拙宅は、引っ越してからもう10年以上たつので、家じゅうの引き出しは片付いてしまっている。つまんないから、最近はプライバシーを開示する勇気のある友人の家の引き出しの整理を買って出ている。そういう家には、もとより空き箱のストックなど存在しない。作業当日は、大きな紙袋に詰め込んだ私の愛すべき空き箱たちをカタカタいわせながら目的地に向かう。
 そのような作業が数回重なると、さすがに需要と供給が追い付かず、在庫が手薄になる。自宅の引き出しにちょっとした手直しが必要なとき、空き箱のバラエティーが不足するのは耐え難い

 前置きが長くなったが、そういう私にとって、大竹伸朗のカバン屋にあたるのが、とあるビジネスマンのオフィスなのだ。                        …(下)に続く
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by miltlumi | 2012-04-21 15:53 | マンモスの干し肉 | Comments(0)
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