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妄想派とリアル派

 女性5人の集まりで、実に過半数が「妄想派」であることが発覚した。妄想派とはすなわち、好きな人と会わなくても彼とのデート場面や何やかんやを色々と妄想して、それで満足できるタイプ。従ってリアルなデートの必要性が徐々に減衰し、結果的に「おつきあい」が続かない(というか、続ける必要がない)。さらには、妄想が作り上げた理想的な彼とのデートを妄想することで自己完結的に幸せになれる、誠に便利な性癖である。
 「え~、リアルじゃなきゃいや~」と声を上げたのは私と同じく少数派の後輩。妄想派に対する「リアル派」は、恋はなんたってリアルでしょ、というタイプ。デートの前にある程度の妄想(というより期待?)は抱くものの、それはあくまで前哨戦に過ぎず、その後に続くリアルな展開の予行演習、もしくは評価基準となるに過ぎない。かつ、抱いた期待は裏切られるのが常であるから、リアル派はできるだけリアルに近い程々の期待を抱くよう自らを律し、勝手に期待して勝手に裏切られて勝手に失望する、という阿呆なサイクルに陥らないよう留意する。

 もちろんリアル派だって、本当の(?)妄想行為がないわけではない。常にリアルな相手を途切らせないためには、慎重に重複期間(俗に言う「ふたまた」)を設ける高度なテクニックが必要だが、倫理的な後ろめたさが否めない。従って、片想いの対象さえ存在しない、潔い空白期間の存在が必然となる。
 そのような期間中、元々憎からず思っていた福山雅治への傾倒度合いが増したことがある。龍馬伝を見ながら、今このテーブル越しに彼が座って私と一緒にお茶を飲んでいたら、どうしよう♪ 明日は仕事さぼって広尾を散歩しよう、などと妄想を膨らませた。
 しかしリアル派のシュールなところは、リアルの対象が登場したとたんにフクヤマへのリリカルな愛が消滅すること。そんなかりそめの妄想は、正統的妄想派に言わせれば腰抜けの邪道もいいとこ。妄想派の一人の知り合いは、もう10年以上堂本光一のおっかけをしているそうである。

 その点、妄想派はいつでもどこでも好きな時に自分一人で幸せになれる。相手への期待は無限大、かつ120%(妄想の中で)実現可能。
 それって、現実逃避じゃないの?というシュールな批判もあろうが、想像力というものは人間に与えられた貴重な財産。いきなりシュールな話になるが、アウシュヴィッツでは、過酷な環境に耐えうる屈強な体力を保持していた肉体労働派よりも、目前の悲惨な現実から目を逸らせて解放後のユートピアを夢想できるひ弱な頭脳労働者のほうが、生き残る確率が高かったという。
 草食系が増えてリアルな対象たりうる屈強な男性が減ってきた今、かつ年を経るごとに対象候補者群に属する人数が(対象者の下限年齢を固定させない限り)確実に減少していく女性にとっては、妄想派的アプローチは生活必需品なのかもしれない。
by miltlumi | 2011-01-09 13:33 | マンモスの干し肉 | Comments(0)
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