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正しい台風の楽しみ方

 今日日、正しく台風を楽しむには、それなりの財力が必要である。高度成長期前夜の、6畳二間続きの南側に半間幅の縁側がついているような昭和の家屋、しかも海の近くの家を手に入れることから始めなければならないからだ。隙間風がどこからともなく吹き込んでくるガラス窓(サッシではない)と、定期的に桟に蝋をぬらないとガタピシする木の雨戸がMust item。

 「台風が接近しています」というTVニュースを見たら、まず蝋燭の在庫を確認する。「キャンドル」ではなく、白い、直径2cm長さ25cmくらいのただの蝋燭でなければならない。アロマキャンドルなんぞで代用すると、ロマンチックな妖しい時間になってしまって邪道である。
 一晩常夜灯代わりにできるだけの蝋燭の本数が確認できたら、次は木の板で雨戸を打ち付ける。その頃はもうじょばじょば雨が降り始めているから、ただでさえほの暗い室内は、昼間っから雨戸をたてたせいで真っ暗になる。
 まだ通っている電気をつけて、先ほどの蝋燭に火をつける。風月堂のゴーフルが入っていた丸い缶のフタ(ない場合は、台風が来る前にデパ地下で購入しておくこと。ここでもささやかな財力が問われる。ゴーフルは食べ終わっておくこと。フタがないとすぐ湿気る)に蝋を数滴たらして、蝋燭をしっかりと固定して立たせる。

 雨脚が激しさを増しているのを確認したら、長靴と雨合羽を着用して海に向かう。近頃は道で転んでも道路公団が訴えられるくらいだから、役所はすごく神経質になっていて、有線放送で「台風で高波が押し寄せているから絶対に海には近付かないでください」と繰り返している。役所と無駄な争いをしないため、「有線放送は聞きましたが、自己責任で海に行きます」というメモをちゃぶ台の上に残して出かけるのがよい。
 人っ子一人いない海は、期待通りの大波がどっぱーんどっぱーんと打ち寄せている。夏であれば雨合羽の下に水着を着ておいて、雨と波しぶきが混然一体となったあたりに駆け出すのも一興。ただ台風の本土上陸確率が一番高いのは10月なので、この季節にそれをやるとさすがに風邪をひく。分別の付いた大人は、防波堤のこっち側で波を眺めるだけで我慢しなければならない。それでも、自然の脅威を体感するには十分なリアリティーである。

 海から戻って、なんとなくせわしない夕飯を済ませた頃に、パッと停電するのが理想的である。「停電の夜に」(ジュンパ・ラヒリ著)は、蝋燭の灯りの元で、別れの発端となる内緒事を夫婦が打ち明け合ってしまう、切ない小説だが、こうならないよう、台風の停電のときはひたすらエンタテインメント性を追求すること。
 すなわち、蝋燭の灯りを顔の下から照らして「幽霊ごっこ」をしたり(思わず笑って鼻息で蝋燭の火を消しても大丈夫なよう、第二の蝋燭をつけておく)、ばば抜きやスピードといったトランプ遊びをする(暗がりだと集中力と真剣度が増す。但しトランプ占いは、ジュンパ・ラヒリの思惑にハマって「相手の真意を探る」モードに発展する恐れがあるので、絶対にNG)

 台風一過の翌朝、雨戸の隙間から細く差し込む朝陽の明るさで目覚めた瞬間の至福。思わず雨戸を繰ろうとして、外から釘で打ち付けてあることを思い出し、玄関から飛びだす。清少納言が「野分のまたの日こそいみじうあはれにをかしけれ」と詠んだ、その光景通りに枝や葉が乱れ飛んだ庭。そう、昭和の家屋には、葉っぱの大きな桐の木や枝が簡単に千切れとぶ萩その他の植栽もMust item。

 水も漏らさぬ二重のサッシ窓が当たり前になり、東京電力の努力でめったに停電が発生しなくなり、沖合で波を調節する「ウォーターフロント」が天然の砂浜に置き換わってしまった今、正しく台風を楽しむのは至難の贅沢になってしまった。
by miltlumi | 2010-10-30 13:23 | 私は私・徒然なるまま | Comments(2)
Commented by zelan at 2010-10-31 00:46
台風におびえつつも台風を楽しむ、ってのは、「昭和」の粋の一種であった、と自分は思うなあ・・(笑)。
Commented by miltlumi at 2010-10-31 14:18
だよね~ 今回の台風もなんてことなく過ぎてっちゃったし、つまらん世の中になったものです。しかし、我々も年齢ばればれになりつつある。。。(笑)
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