人間としてのつきあい

 昨日のブログで頭出しをした「人間としてのつきあい」について。より具体的に言うと、
 (1)相手に一方的に熱をあげて、でも「恋人としてはだめだけど人間としてつきあいましょう」と提案されたときに、素直に受け入れること
 (2)一旦恋仲になった相手と、その関係を解消して「人間としての」関係にソフトランディングすること
ができない男が多い。

 ブログにも登場していただいた友人C・D及び男性Y・Zと飲んだ。
 Yいわく、異性として興味のない女性を1:1のディナーやランチに誘うことはない。そしてY・Zの共通見解として、そうした誘いに女性が応じた場合は、つまり異性として受け入れてくれたと解釈する、というのである。C・D及び私は愕然としてしまった。過去1:1ディナーやランチをしてきた何十人もの男達の顔を思い起こし、あれって、そう受け止められてたの?と大いに困惑。
 そういえば、とCが言うには「1・2回は誘ってくるけど、こちらが一向にその気配を見せないと、3回目のお誘いはついぞ起こりませんでした、というケースって結構多い。私は彼と『友達として』つきあいたかったのに」
 逆に私は、3回目にいきなりプレゼントを差し出されて「当然受け取ってくれるよね」的な態度を示され、びっくりしたことがある。1・2回目にはっきりと「そういうつもりはありません」という雰囲気を醸し出しておかないと、このようにお互い決まり悪いことになる。その相手とは、当然ながら4回目はなかった。いい人だったのに。

 大体、人間としてつきあうためにも、二人きりで会ってお互いをよく知り合うことが大切なのに、1:1でご飯食べないで、どうやって知りあえばいいの?!とCとDが憤慨する。こっちがヒトとして末永くおつきあいしたいのに、結局オトコは我々をオンナor nothingとしてしか見てないということか。

 なぜこのような見解の相違が生じるのだろうか。一つの仮説として、人生80年と言われるようになった今、単に「子孫繁栄」という生物学的な使命を中心とする男女関係だけではなく、「人間としての関係」を築くことの大切さを、女性は十分認識しているからではないか。一方男性は、うまくすれば生涯生物的使命を全うすることができるがゆえに(?)、どうしてもその性(さが)から抜け出すことが難しい。まだ進化の途上なのである。

 けれども、実際にはきっと男性だって、共通の趣味を架け橋に会話を楽しんだり、世間で起こる出来事や本や演劇の感想を述べ合ったり、あるいは自分自身の生な感情を曝け出したり、そういうことを心のどこかでは求めているのではないか。
 いつもオトコとして「たくさんマンモス狩ります!」という態度を示し続けるのは、大変じゃないですか?
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by miltlumi | 2010-04-16 20:59 | マンモスの干し肉 | Comments(0)
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